テオファノ(Theophano / Θεοφανώ, 生没年不詳)は、東ローマ皇帝ロマノス2世の皇后。ロマノスの死後ニケフォロス2世フォカスの皇后となり、同時にヨハネス1世ツィミスケスの愛人となった。10世紀の東ローマを代表する悪女といわれている。
テオファノの素性はよく知られていない。「酒を売る商売の家庭に生まれた」、という記載が年代記にあることから、居酒屋の娘、または宿屋の娘だと解釈されている。本名はアナスタソ(Anastaso)といった。どういった経緯で皇太子であるロマノスと知り合ったかも不明である。956年前後に正式にロマノスと結婚し、その際にテオファノと改名した。
959年に急死したロマノスの父、皇帝コンスタンティノス7世は、テオファノが毒殺したと噂された。しかしコンスタンティノスの死因は熱病であるし、毒殺の証拠もない。政治に興味のないロマノスは妻のいいなりで、何年もテオファノの操り人形であったと言われている。
963年3月15日、ロマノスが26歳の若さで急死した。再び、テオファノが毒殺したのではと噂されたが、夫がいてこそ彼女は思うままに振る舞えたのであり、仮に毒殺しても何の徳にもならないので、その可能性は低い。しかも彼女は、娘アンナ(のちのキエフ大公ウラジーミル1世妃)を出産したばかりだった。まだ幼い息子たち、バシレイオス2世とコンスタンティノス8世が共同統治帝として即位し、テオファノは摂政となった。しかし彼女には、当時強大な権力を持っていた軍隊に対する影響力がなかった。軍隊は、将軍ニケフォロス・フォーカスを皇帝として支持し、彼は幼い皇帝たちの後見になるとして、同年8月15日にコンスタンティノープルへ入城。ロマノスの寵臣で宦官のブリンガス派を市街戦で制圧し、彼はハギア・ソフィアで正式に戴冠した。そして彼は、自らの皇位を正当化するため、前の皇后テオファノと結婚した。
ニケフォロスは、テオファノの子供たちの守護者となり、彼なりに年の離れた美しい妻を愛していたという。しかしテオファノは、勇猛な軍人であり敬虔なキリスト教徒である堅物の夫を嫌った。彼女は、前夫ロマノスの死で失うはずだった自分の地位を保全するために、ニケフォロスの妻となったのだった。やがてテオファノは、若く実績のある将軍ヨハネス・ツィミスケスと愛人関係になった。2人はニケフォロスの暗殺を計画し、それを969年12月10日から11日の夜中に実行した。テオファノの手引きで宮殿に乱入した暗殺者らは、眠りについていたニケフォロスを刺し殺した。
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