麻生太郎

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画像:Taro Aso cropped.jpg2005年、釜山広域市で開かれたアジア太平洋経済協力閣僚会議に外務大臣として参加、アメリカ合衆国国務長官コンドリーザ・ライスと握手する麻生(右)

麻生 太郎(あそう たろう、1940年9月20日 - )は、日本の政治家、実業家衆議院議員(9期)。為公会(麻生派)会長。モントリオールオリンピッククレー射撃・スキート日本代表(41位)。漫画好きとしても知られている。

外務大臣(第137138代)、総務大臣(第345代)、内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)、経済企画庁長官、自由民主党政務調査会長、自由民主党幹事長を歴任。元麻生セメント代表取締役社長

略歴

1940年9月 - 福岡県飯塚市麻生太賀吉と和子の長男として生まれる。麻生塾小学校(現在は閉校)を経て、小学3年生の頃、上京し学習院初等科に編入する

1959年3月 - 学習院高等科卒業。

1963年3月 - 学習院大学政経学部政治学科卒業

・1963年4月 - スタンフォード大学大学院に留学

1965年 - ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに留学。

1966年8月 - 麻生産業株式会社に入社。

・1966年11月 - 麻生産業株式会社の取締役に就任。

1973年5月 - 麻生セメント株式会社の代表取締役社長(1979年12月まで)。

1976年7月 - モントリオールで開かれた第21回オリンピック競技大会に日本代表として出場(射撃:クレー・スキート)。

1978年1月 - 社団法人日本青年会議所の会頭に就任(1978年12月まで)。

1979年10月 - 第35回衆議院議員総選挙に(旧福岡2区、現福岡8区)から出馬し初当選。

1983年11月 - 鈴木善幸元首相の三女千賀子と結婚、後に一男一女をもうける。

1983年12月 - 第37回衆議院議員総選挙で3期目の当選を目指したが落選。

1986年7月 - 第38回衆議院議員総選挙で返り咲き当選(3期目)。以降第44回まで6回連続当選。

1988年12月 - 文部政務次官に就任(1989年6月まで)。

1990年3月 - 自民党の文教部会長に就任(1990年12月まで)。

1991年1月 - 衆議院石炭対策特別委員長に就任(1991年11月まで)。

・1991年11月 - 衆議院外務委員長に就任(1993年5月まで)。

1992年12月 - 党外交部会長(1993年8月まで)。

1996年11月 - 国務大臣経済企画庁長官に就任(1997年9月まで)。

1999年1月 - 党内で長年所属した宏池会離脱~元総裁河野洋平を会長に大勇会旗揚げ。


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