
麻生 太郎(あそう たろう、1940年9月20日 - )は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(9期)。為公会(麻生派)会長。モントリオールオリンピッククレー射撃・スキート日本代表(41位)。漫画好きとしても知られている。
外務大臣(第137・138代)、総務大臣(第3・4・5代)、内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)、経済企画庁長官、自由民主党政務調査会長、自由民主党幹事長を歴任。元麻生セメント代表取締役社長。
・1940年9月 - 福岡県飯塚市に麻生太賀吉と和子の長男として生まれる。麻生塾小学校(現在は閉校)を経て、小学3年生の頃、上京し学習院初等科に編入する。
・1965年 - ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに留学。
・1966年8月 - 麻生産業株式会社に入社。
・1966年11月 - 麻生産業株式会社の取締役に就任。
・1973年5月 - 麻生セメント株式会社の代表取締役社長(1979年12月まで)。
・1976年7月 - モントリオールで開かれた第21回オリンピック競技大会に日本代表として出場(射撃:クレー・スキート)。
・1978年1月 - 社団法人日本青年会議所の会頭に就任(1978年12月まで)。
・1979年10月 - 第35回衆議院議員総選挙に(旧福岡2区、現福岡8区)から出馬し初当選。
・1983年11月 - 鈴木善幸元首相の三女千賀子と結婚、後に一男一女をもうける。
・1983年12月 - 第37回衆議院議員総選挙で3期目の当選を目指したが落選。
・1986年7月 - 第38回衆議院議員総選挙で返り咲き当選(3期目)。以降第44回まで6回連続当選。
・1988年12月 - 文部政務次官に就任(1989年6月まで)。
・1990年3月 - 自民党の文教部会長に就任(1990年12月まで)。
・1991年1月 - 衆議院石炭対策特別委員長に就任(1991年11月まで)。
・1991年11月 - 衆議院外務委員長に就任(1993年5月まで)。
・1992年12月 - 党外交部会長(1993年8月まで)。
・1996年11月 - 国務大臣経済企画庁長官に就任(1997年9月まで)。
・1999年1月 - 党内で長年所属した宏池会離脱~元総裁河野洋平を会長に大勇会旗揚げ。
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